見えない神から見える神へ

最近『道昭~三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』という本を偶然手にして、面白そうだと読んでみました。


研究書や歴史検証的な自伝的ノンフィクションかと思って読み始めたら、

予想外の物語形式で、

冒頭のシーンで日本に仏教が伝来した時の天皇、蘇我氏、物部氏などの話し合いの場面がありありと描き出されていて、

予測してない物語形式に、頭がきっと無になったんでしょうか、それまで見えない神を信仰していたヤマトの人たちが仏像という、ある意味『形ある神』に接した時の気持ちを追体験するような不思議な感覚がしました。


「形を与えられたら制限されてしまう、失われてしまう」という焦燥感と危機感を感じました。


そんな感覚が沸き上がった後に、あー仏教伝来以前、ヤマトの人々はエネルギーを感じる感覚を当たり前に持っていたんだろうな…と思いました。根拠はないですが。

日本の八百万の神とはつまり、エネルギーそのものなんだな。と

今の私は日本人として仏教や仏像は馴染みがあり、神道より親しみを感じる位です。仏像を見るのも好きですし、でも、

見えない物を繊細な感覚で感じとり、見えないまま信じる、確信する強さを持ちたいな、持っていられた時もあったのだと感じさせてもらえた出来事でした。